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すごい人生

2016-04-20

【世界のシゴト観】日本での生活を経てめぐり合った天職・日本語講師 Thuyさん(ベトナム)

「『働く』ってなに?」
「あなたにとって『シゴト』とは?」

ところ変われば仕事観も多種多様。これから「世界のシゴト観」というシリーズで、世界の働く人たちの仕事観を探っていきます。

初回は、ベトナム人日本語講師のThuy(トゥイ)さん。ベトナム最大の商業都市ホーチミンで、現地の大学生や社会人に日本語を教えています。

この仕事を始めたきっかけは? 仕事のやりがいは? 今の夢は? シゴトに対する価値観を、根掘り葉掘り聞いてみました。

「どんなに嫌なことがあっても、学生の顔を見ると元気になれるんです」

Thuyさんは1984年生まれの32歳。ベトナム南部のヴィンロンという町で、4人姉妹の次女として生まれ育ちました。23歳の頃からホーチミンで暮らし始め、今は日系の日本語学校で日本語講師として働いています。

講師歴は7年。もちろん日本語はペラペラで、ビジネスメールや冗談もお手の物です。

日本語講師としてのキャリアは7年ですが、今の職場で働き始めたのは10ヶ月前くらいからです。日本に留学予定の学生や、日本で働くために勉強している技能実習生に日本語を教えるのが私の仕事です。

授業は1日2コマ〜4コマ。明るく話好きなThuyさんは人望も熱く、多くの学生に慕われています。

どんなに嫌なことがあって気分が落ち込んでいる日でも、教室のドアを開けて学生の顔を見ると元気になれるんです。

学生に日本語を上手に話せるようになってほしい、自分が持っている知識をすべて教えてあげたい。

仕事に対するThuyさんの姿勢は、常に真剣です。授業が終わって教室を出ると、「今日はここがうまくできなかった。あそこもだめだった……」と反省する毎日だそう。

そんなThuyさんですが、どうして日本語講師になりたいと思ったのでしょうか。さらに遡って、日本語を勉強したいと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

話を掘り進めていくと、20代前半の経験が浮かび上がってきました。

原点は10年前。技能実習生として、単身日本へ

それは、今の教え子と同じように、自身も技能実習生として日本で働いていたという10年前の経験です。

技能実習生という制度に興味を持ったのは19歳のときです。たまたま祖母がテレビで見て知ったらしく、「Thuyちゃん、これやってみたらどう?」と勧められたんです。

技能実習生制度とは、「日本の技能を取得し祖国の発展に貢献すること」を目的に、外国人が一定期間(3〜5年間)日本企業で働く制度。現在は、食品加工、内装、溶接、建築など、さまざまな分野でベトナム人を初めとする外国人技能実習生の受け入れが進んでいます。

実習生は、母国で数ヶ月の日本語研修を受けたのち日本へ渡り、基本的に任期中の帰国は許されません。日本語が満足に話せない中での生活は、困難も伴うはずです。そこに敢えて挑戦したいと思った理由は何だったのでしょうか。

それは「家族のため」とThuyさんは言い切ります。

当時の私たちの暮らしは、必ずしも豊かとは言えませんでした。下に妹も2人いましたし、とにかくお金が必要だった。日本で働けば、ベトナムの5倍ぐらいのお給料をもらうことができます。とにかく家族に楽をさせてあげたかったんです。

その後正式に実習生として日本へ渡ることを決めたThuyさん。当時、20歳でした。

3年間の日本での生活について、Thuyさんはこう語ります。

愛知県の自動車部品工場で3年働いたのですが、本当にいい経験でした。日本人の友達もたくさんできたし、同僚や上司もやさしくしてくれて、とても充実した毎日でした。3年間一度も帰国しませんでしたが、帰りたいと思ったことは一度もありません。逆に、もっと日本にいたいと思ったくらいです。

切っても切れない「仕事」と「家族」の関係

実習先での人間関係のトラブルや、契約内容と実際の仕事の違いなど、さまざまな問題も報告されている技能実習制度ですが、Thuyさんの職場は人にも恵まれたいい環境だったそうです。さらに、「家族に楽をさせてあげたい」というThuyさんの夢も叶うことになります。

日本で稼いだお金は、ほとんどすべて家族に送りました。最後の1ヶ月のお給料だけ、日本で頑張ったご褒美に、ベトナムに持って帰りました。帰国したとき、そのお金を使って、友達や親戚と一緒にパーティーをしました。

家族を何よりも大切にするベトナム。「一人暮らし」「核家族」はまだ都市部のみの少数派で、結婚しても家族と同居する人がほとんどです。
家族に病気や怪我などのアクシデントがあればためらいなく仕事を休むし、仕事が終わったあとも無駄な残業はせず、家族と過ごす時間のためにすぐに帰宅するのが普通だといいます。

また、ベトナム人は、「お金やものは一人占めせずに誰かとシェアする」という考えを強く持っているそう。そのため、「働いて得たお金は他の誰かのために使うのが当たり前」と考えている人が多いのです。
 

そういった価値観のため、働く理由は必然的に「家族のため」になります。

「ボーナスはすべて、家族にごはんをごちそうしたりプレゼントしたりするために使う」「家族に楽をさせるために、もっとお給料のいい会社に転職したい」など、仕事と家族は切っても切り離せないものです。

流れのままに辿り着いた、日本語講師という仕事

3年の実習期間を終え、23歳でベトナムへ帰国したThuyさん。帰国後の技能実習生は、日本で得た人脈やスキルを活かして起業したり、日本語を使った仕事に就くことが多いそうですが、Thuyさんは帰国当時、キャリアのビジョンを全く持っていなかったと言います。

まずは、日本で磨いた語学力を衰えさせたくないなと思って、日本語学校へ通うことにしました。ホーチミンの有名な日本語学校に入学して、1年間日本語を勉強しました。

そして1年間の勉強を経て、Thuyさんは日本語講師の世界に飛び込むことになります。

きっかけは、学校に貼り出されていた「講師募集」の求人。クラスメイトと一緒に応募し、4ヶ月間の講師養成トレーニングののち、講師としてのキャリアをスタートさせました。

初めて教えたのは、漢字の授業です。初めはほかの先生のアシスタントから始めて、徐々に一人で教壇に立つことが増えていきました。最初は本当に緊張して、何をどうやって教えればいいのか試行錯誤の日々でしたが、教えれば教えるほど自分の指導スキルも学生の日本語力も上がっていくのが楽しくて、この仕事にどんどんのめりこんでいきました。

流れに身を任せる中で辿り着いた、日本語講師という仕事。技能実習生として日本で働いていた頃と今では、仕事に対する考え方はどう変化したのでしょうか。

「お金のため」は終わり。これからはやりがいを大切にしたい

私は本当に学生の笑顔を見るのが大好きなんです。働く理由は、10年前と今とでは全く違います。昔はとにかく家族のため、お金のためにと思って働いていました。でも、私が日本で働いたことで家族の生活は楽になりましたし、私たち4姉妹も独立したので、これからは自分のやりがいを大切にしたいと思っています。

日系メーカーへの就職や、翻訳・通訳など、日本語講師よりも給与の高い仕事はたくさんありますが、それよりも学生と接することで生まれるやりがいを重視したいとThuyさんは言います。

学生に慕われ、誕生日や記念日(先生の日、女性の日)には学生からたくさんのプレゼントをもらうThuyさん。プレゼントをもらうことよりも、その気持ちが何よりも嬉しいそうです。教え子のことを話す姿は本当に楽しそうで、学生に対する愛情が伝わってきます。

日本で働くよりも、これからは母国に貢献したい

最後に、将来の夢について聞いてみました。

この仕事をずっと続けたいのか、また日本で働きたいのか、これからもベトナムにいたいのか。そして結婚や出産についてはどう考えているのでしょうか。

日本語講師の仕事をずっと続けていきたいです。もっともっと自分のレベルも高めて、学生により多くのことを教えられる先生になりたい。日本でもう一度働きたいとは、今は思っていないですね。それよりも、母国のために貢献したいという気持ちのほうが強いです。結婚は……うーん、35歳くらいでいいかな(笑)

日本語講師が天職なんですね、と伝えると、「『天職』はどういう意味ですか?」と聞き返すThuyさん。意味を説明すると、最後に嬉しそうにこう語ってくれました。

天職……うん、そうですね。日本語講師は私の天職だと思います。これからも学生のために、もっと頑張りたいです。

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