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すごい人生

2021-03-03

「すごい旅人」片岡力也氏インタビュー(前編) コロナ禍でカーボベルデに暮らす旅人夫婦の軌跡

先日本格始動した、SAGOJOの『すごい旅人』マネジメント制度。『すごい旅人』第1号となってくれたのが、片岡力也さんです。今回「すごい旅研究所」では、世界一周の新婚旅行中にコロナ禍に見舞われ、カーボベルデという島国から出られなくなる中、現地で「旅×シゴト」を実践し続けている片岡さんにインタビューを行いました! これまでの驚きエピソードから、旅人としての思いまで、2回に分けてお届けします。

アフリカ縦断から始まった「クレイジーハネムーン」

−−片岡さんは今、大西洋の島国・カーボベルデにいる、というか暮らしているということですが、まずその経緯について聞かせてください。いろんなメディアで100回ぐらい同じ話をしていると思いますが(笑)。

2019年の12月に新婚旅行として世界一周を始めて、最初の目的地を南アフリカにしたんです。その理由がいろいろあって、まず12月に出発した理由っていうのが税金対策。

−−住民税ですね。原則的に1月1日の居住地で計算されるから。長期で海外に出ようとする人はけっこう気にするところ。

12月にスタートしたんですが、僕は寒いのが苦手なので冬服は持っていかないと決めていた。すると最初の目的地は南半球に決まる。でもアフリカ以外の南半球は、僕はほとんどすでに行っちゃっていた。それでアフリカのどこかにしようと思って、ハブ空港があるので南アフリカにしたという感じです。そこから少しずつ北上していく計画。

−−片岡さんはかなり旅をしてきた方だけど、奥さんはそこまでではないですよね。その点で南アフリカは難易度が高い気がするんだけど、大丈夫でした?

だからYouTubeチャンネルも「クレイジーハネムーン」って名前にしたんです(笑)。

−−なるほど(笑)。

夏にはスカンジナビアに行くことを決めていました。オーロラに憧れがあって、僕は新婚旅行のために、オーロラは見ずに取っておいたんです。それから、日本で僕と奥さんはずっとAirbnbをやっていたんですが、その中で現地に2人の共通の友達がたくさんできたこともあります。10月ごろにオーロラがよく見えるという話だったので、それに向けて北上していく。セネガルがその過程の、ちょうど真ん中ぐらいでした。

−−カーボベルデはセネガル沖に位置する島国ですよね。

僕は島が好きで、そのセネガルでカーボベルデから来た旅人に勧められて、カーボベルデに行くことを決めました。入国する3日前までカーボベルデという名前も知らなかった。そんなふうに、スカンジナビアまでのプランというのはわりと自由にその場で決めていくようなスタイルだったんです。

カーボベルデ滞在中、コロナ禍が世界を襲う

−−カーボベルデに入国したのは2020年の2月ですよね。新型コロナウイルスに関しては、日本では船(ダイヤモンド・プリンセス号)が大変だったころ。

ヨーロッパでは「なんかアジアで大変なことが起こっているみたいだよ」ぐらいのノリ。当時はまだ深刻ではなかった。でも、2月下旬にかけてイタリアで感染が広まり、死者も出てやばくなってきた。スペインもそう。そして、僕らのスペインへの出国予定が3月頭だったと思います。

−−世界中があっという間にパンデミックに突入していったような時期ですが、この時どう思っていました?

ヨーロッパに行くのはやばいんじゃないかなと。だから、むしろキャンセルでもいいかなって考えていて、そこでフライトの2日前にキャンセルと言われたので、これは逆によかったと思いましたね。ここにいればいったんは安全、みたいな。

−−カーボベルデには、コロナは入ってきていなかったんですね。

ただ、唯一の悩みがビザでした。カーボベルデでは入国から1カ月間のビザをもらえるんですが、その時点で僕らが入国してから3週間以上が経っていたので、もうあんまり時間がない。そこで、手続きをめちゃくちゃして、1カ月経った日ギリギリにちょうどビザが下りた感じですね。

−−よかった。国内ではコロナによる混乱なんかは全然なく?

外出禁止とかは……ちょっとだけあったんですけど。国際線が全部止まって、島の間の移動もないから、コロナの影響がほとんどなくて。みんなここは楽園だという感じでした。

−−物資が入ってこないようなことは?

それはちょっと怖くて、2週間分くらいは生きていけるようにパスタとかは常に確保していました。でも、政府も物資だけは特別便で確保していたみたいですね。

「サバイバルしていくしかない」旅人が旅先で暮らしを始めるとき

4月ごろから、「これはもう、ずいぶん長くここにいることになりそうだ」という感じがしてきました。毎月政府が何か発表をするんですけど、「来月から空港が開く」みたいなことを毎月言っているんです。だからこっちとしては常に「ようやく出られる」って思うんです。でも「来月には、来月には」と言われて今になっている(笑)。

−−すごいなあと思ったのは、現地で仕事を受けたりとか、生活の組み立てをしっかり始めていること。出国について「来月には、来月には」って言われている一方でそちらを進めるって、結構マインドセットも難しいんじゃないかなって。

「来月には、来月には」が2回ほどあったときに、しばらくこれが続く可能性があるので、もう一個のオプションとしてこっちで稼いで暮らすことを考えました。本当に誰も助けてくれないし、最悪のケースを考えないとまずい。自分たちでサバイバルしていくしかない、と。

−−まず何から取り組んだんですか?

まずはビジネスビザが欲しかった。ただ、やっぱりビジネスビザって取るのが難しい。外国人がいきなりポンと取った前例がないんです。

だから、まず政府が喜ぶことをしようと思って。経験のある動画の領域で、観光PR動画を引き受けることをゴールに設定しました。そういう依頼が来るように、各飲食店とかホテルとか、ちょっとした観光スポットの動画などを撮り、Instagramで政府をタグ付けしたりして存在をアピールすることから始めました。

 

−−それは完全に勝手にというか、自主的に?

そのときは勝手にタダでしていました。ただ、それをすれば絶対にレストランもホテルもタダにしてくれることは見越していました。つまり、お金ではなくて、食べ物や宿泊で対価を得る。

観光客が来ないから、ホテルにはお客さんは一人もいない。僕らも手厚いサービスなんていらないから、泊めても電気代とガス代しかかからない。ホテル側からしても今は未来のために投資した方がいい。そして僕らにとってお金がかかるのは宿泊費と飲食費だけ。だから絶対タダで、と。そこをまず重点的に攻めました。

−−すごく考えられていますね。まず飲食やホテル、生きていくために必要なことをキープする。さらにそれ自体が政府へのアピールにもつながっている。

政府の偉い人にたどり着くのは結構早かったですね。5月か4月だと思うんですけど、そのあたり。

−−動画を撮ることにとどまらず、その後も色々動いてきたとのことですが。

今はSNSの活用とかもいろいろ提言したりしています。今泊まっているホテルの会社が他にもいろいろなことやっているグループで。コロナが落ち着いた後にまたお客さんを呼ぶための準備。ソーシャルメディア専門の部署を立ち上げてお願いしたいと言われて。

−−比較的大きな会社でも、そういう部署がそれまでなかったんですね。

現地の人にそのあたりのリテラシーがなくて、もっと工夫の余地があるのにやれる人がいない。ソーシャルマーケティングって、マーケットが大きければ大きいほど効果を発揮すると思います。カーボベルデは小さい国だけど、本来はマーケットとしてバカンスに来るヨーロッパの人を見ているから。

−−なるほど。

カーボベルデの産業って島によって違うんですが、たしかGDPの30%ぐらいが観光業なんですよ。で、僕らのいるこのサル島だけでいうと、公表されていないですが僕の体感としては80%ぐらいが観光業だと思います。漁師も結局、観光客向けに魚を獲っている。タクシーの運転手、飲食店もほとんど事実上は観光業。だから今はもう経済的にマジでやばい。

−−そういう状況で、暴動などは起こらないんですか?

それが、人々が平和な感じでそういうことが起こらない。なんか「隙のない平和」という気がしますね。沖縄の離島の人とかを思い浮かべてほしいんですが、すごく平和的。国全体がそんな離島みたいな感じですね。

「英語がダメならポルトガル語で」片岡流メディアアタック

−−カーボベルデで着々と基盤を作っていく過程の中で、どんどんメディアに取り上げられ、日本でも有名になっていく動きがありましたよね。

政府に存在を知らせる動きを加速させようとして、まず現地でメディアに出ようと思ったんですよ。まだ知名度のない状態でどうしようかなと思い、現地のメディアに片っ端からメールで連絡をしたんです。僕の動画を紹介してくれと。

−−メディアアタックというやつですね。

大きなメディアが10カ所ほどしかないんですが、最初は全部無視された。それは英語で送っていたんですね。それで、1週間後ぐらいにポルトガル語(カーボベルデの公用語)に翻訳して送ったら1カ所から返事があった。面白そうだから、動画を紹介するだけじゃなくて君たちの記事を作ると。そこが結構大きなメディアだった、という経緯です。

−−なるほど。

配信先はネットなんですが、日本でいうYahoo!ニュースのように見られているSAPOというサイトで。そこから反応が変わってきて、街を歩いていると「SAPOで見たぞ」ってみんなに言われて。翌日にオリンピック委員会から連絡が来たんですよ。それでアンバサダーになって、そこから結構メディアに注目されました。

−−英語でダメだったからポルトガル語で、というのがファインプレーでしたね。

Facebook上で送ったメッセージなんかは、既読がついているのはわかるから。開いてはくれたけど読めていないんだなと思って、Google翻訳なんかも使って、英語からポルトガル語へという翻訳を頑張ってやりました。

−−カーボベルデ国外のメディアは?

英語の世界的なメディアとかからの連絡も、1週間後ぐらいからですね。IOCが「こういう人をオリンピックアンバサダーにした」と発表しているんですよ。それで最初に来たのがロイター通信。あれがすごかった。

ロイターがいろんなところに記事を配信してくれるから、NY TimesやCNNとかに伝わった。あの頃はやばかったですね。毎日3〜4件取材が入っていて、誰に何を話したかまったく覚えてなくて、同じ人に3回同じ話をしたりしました(笑)。

−−それらのメディアは、どういうことに興味を持って取材に来るんですか?

あのときは完全に、オリンピックに絡めた話。どうしてアンバサダーになったのか、みたいな。東京オリンピックが延期になることは決まっていて、翌年もできるのかと話題になり始めた頃。旅・旅人みたいな話に興味を持ってきたメディアはほぼないですね。

−−その後日本のメディアが興味を持ち始めたのは、いわば逆輸入みたいな感じですか。

最初はオリンピック公式が大きかったかな。オリンピック公式の英語サイトに取材されて、それを日本の方も結構見ていたようで。Twitterとかで検索したら日本でも結構話題になっていたところで、朝日新聞が取材してくれて日本のメディアが増えましたね。

後編の記事に続きます。後編では、片岡さんの旅人としての原点、考え方の根本といった内容に迫っていきます!)

▶︎ なお、SAGOJOでは現在、片岡力也さんと一緒にカーボベルデやアフリカを舞台にした新プロジェクトを企画立案・推進してくれる旅人を募集中です!

ライター:SAGOJO編集部

『すごい旅研究所』の記事制作を手がける編集チーム。「旅 × シゴト」を目指すすべての旅人に役立つ情報をお届けします。

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